5. 東日本大震災
人生で一番大きな揺れを感じた地震だった。立っていられない。大きな恐怖。
震源地から離れていると思えなかった。
2011年3月11日 14時46分 関東に住んでいる私だって覚えてしまった数字。
どうしたらいいのかわからない不安な気持ちを抱えながら、
何時間後に連絡が取れたのか覚えていないけど、
「揺れがひどかった。怖かった。ケガはないよ」と伝えることができた。
たまたま実家に帰省中で震源からものすごく遠い地にいたあの人は、揺れを体感していなかった。
夜になるにつれ東北が大変なことになっていることを知る。
津波の映像。火災の映像。
寒さや恐怖は、私なんてとは比べものにならないこと認識していた。
それでも、私は私なりにこの地震の恐怖を感じていた。
そんな夜中、ちょっとしたメールのやり取りでケンカになった。
「大丈夫って連絡来たからには『大丈夫』ってことだよね。
今自分は本当に困っている人、生死の境にいる人をツイッターで中継して助けているところ。
本当に大変な人たちがたくさんいる。
その人たちと比べたら自分たちは安全」
ツイッターの作業に支障が出るほど連絡していない。もともと連絡頻度少なすぎて淋しがられていたくらいだし。
ツイッターで中継することをやめるようになんて思ってない。
私のことを心配してよ、心配していない、と言っているのではない。
ただ、その一つのスマホで、
震源地の人の助けになることをし、
私にも、不安だよねでも大丈夫だ安心しろって一回言ってくれるだけでよかった。
東北の人と私のどっちが大変か、なんてわかりきっているそんなこと、私たち二人だけの会話の中で比べたかったのではない。
揺れを体感していない人に、東北より小さな揺れを受けた私の不安は理解してもらうことはできなかった。
まるで震源地の人を心配していない、自分のことだけを心配している心無い人、のような言われようだった。
そして数日後、自宅に戻った彼は「何も被害がなかった」と、
自分のマンションの耐震免震構造の素晴らしさを嬉しそうに語ってくれた。
数日前のことをモヤモヤ思っているのは私だけだった。