15. 救いの手
大人になると自分自身で消化、解決しなければいけないことが多くなる。
学生の頃ならば、友人に軽いトークで発散することもあったけど、そうもいかない。
こんな話、誰それ構わず話すつもりもない。
こんな話ではなくても、誰構わずに頼ること甘えることが苦手。人に迷惑をかけないように考えてしまう。
もしも話したとしても、私自身、進展ある話ではないことわかってる。
こんな出口のない、同じ話をいつまでも聞かされるのも辛いはず。
ただ言葉にしたいだけ。グルグルしている頭の中を外に出したいだけのそんな話キリがない。
それから、論点。
今私の心が痛い原因を、まだ好きだから…的な話として受け止められてしまったら、私の苦しみが解放されない。
その論点の誤解を解くことに使う気力はない。
それは違う、話の主旨はそこではないの、と言っても、きっと信じてもらえない。
だからここでもあの人の良いところは書かない。
決して悪い人ではないから、ちゃんと良いところは良いと表現したいけど、そうすると話が進まない。
あの人と再会した後すぐ、自分が弱くなっていることを実感した。
この苦しい感情を外に出したいと思った。
でも上手に人にわかるように伝えることができない自信があった。
ちょっと今疲れてて。
話したいことがまとまっていなくて。
もう少し整理できたら会いたい。
そうラインした私に、大切な親友は「今すぐおいで。時間作るから」と言ってくれた。
彼女は忙しい。子育てに仕事、自分の生き方を充実させている。
弱音をはかせてもらっただけで、ほんの少しだけ気が紛れた。
でも「行けない。今その力はないから待って」
それからすぐ、一年で一番家族が大切なお正月に彼女は会いに来てくれた。
「何があったの?どうしたの?」なんて聞かない。
いつも会う時と全く同じ、この頃の自分のこと、くだらない話、日常生活、楽しいこと、ちょっとあった嫌なこと、そんな話しかしない。
テンションの低い私を放っておいて、気がついていない風に、いつもと変わらなく過ごしてから、
優しくもハッキリ「病院行こう」と言われた。
言ってもらえて、客観的判断がついて、ホッとした。
気の持ちよう、自分で気持ちの切り替えする、しっかりしなくては、私が弱すぎる、病気のせいにしてはいけない、とずっと頑張っていたことを、「自分のせいではない」と許してもらえた気がした。