26. 1つみつけた
心が楽になる方法、1つみつけた。
私はあの人を許せない。と思っている。
そんな風に思う自分が嫌だった。情けなかった。そんな自分の心が醜いと思った。
それも辛いことの1つだった。
許す必要はない。
私がもっと違う対応をしていたらまた違う今があったかもしれなくても、
それでも、今、あの人がしている言動は事実あの人が今したことなのだから、
一生許せなくてもいいのでは、と思う。
私の主観といえども、嘘はついていない。
あの人が言っていないことを言っているかのようになんて、言っていない。
あの人が私に言ったことを、言った言葉として覚えているだけ。
あの人がしたこと、あの人がしなかったこと、を問うているだけ。
許せる心になれない自分を否定したり戒める必要はない。
私の心の中だけでそう思い続けることが悪いなんてことはない。
そんな風に思い続けてしまったとしても、ダメな人間ではない。
人生で一人くらい許せない人がいてもいい。
受け入れよう。
このままでいいんだ。
私はあなたを一生許しません。
だってあなたはそれ程のことをしているのだから。
25. もしもインタビューを受けたら
そんな日が来ることはないけれど、
もしもHGさんの人物像のインタビューを受ける機会があったら、
私は何もコメントしない気がする。
それでもどうしてもコメントしなくてはいけない場合は、きっと
「ご挨拶したら返してくれますし、優しそうな印象の方です」と答えるかな。
間違ってないから。何でもないときは本当に優しい人だから。
私だけではなく、知人友人、仕事関係者、シェアをしていた人達、バイトさん、ほとんどの人は彼のことをそう表現すると思います。
最低のことをした卑怯な人だと思う。
「意見が分かれたとき、自分の意見が通らないとダメな人」
「自己保身ばかりで、自己中心的で、思いやり優しさのない人」
「自分にとって価値があるか、自分に利益になることがあるか、を本能で天秤にかけて我慢したり、言うことを変えることができる人」
「自分のことがかわいい人。本当に切羽詰まったとき守るものは自分だけの人」と本人には言います。
私に対しての彼がした罪と、コメントを求められる事件とは関係がないから、
そう答えられる人でいたい。そういう私に戻りたいの。
24. I love meな人って何と闘っているのだろう
再会して、楽しそうに嬉しそうに「また今度」と言っていたのに、「あのときのことを説明してほしい。したことを謝ってほしい」と伝えたその途端、連絡が取れなくなった。
そしてやっとあった反応は、一方的で自分勝手な脅迫まじりな内容のラインだった。
出来事を都合よく切り取って、いつもの彼らしく都合よく解釈して、私を責める言葉を並べた後、
「私のしたことで気にめさなかった全てのことは謝ります。大変申し訳ございませんでした」
「これ以上、関りあいをもたないでください」
衝撃だった。
ここまで身勝手で自己中心的な残酷な人だったんだ。
責任転嫁。謝っているようで謝っていない謝罪。
このラインが来て、読んで、その日、最後の最後本当の限界ギリギリのところ張っていた全てが切れた。
I love meの人。
自己保身ばかりの人。
自分がしたこと言ったことを、認めることは決してない。
心底自分は何も悪くないと本当に思っているのか。
認めること謝ることは負けだと思っているのだろうか。
この人と私は、大切なものが違う。守りたいものが違う。
この人には何を言っても伝わらない。
このことになぜもっと早く気付かなかったのだろう。
気付いた時に頑張らなければ良かった。理解したいと思わなければ良かった。
呆れられれば良かった。なじれれば良かった。
池袋の暴走事故の男性
「安全な車を開発するようにメーカーの方に心がけていただきたい」
「高齢者が安心して運転できるような、外出できるような世の中になってほしい」
あおり運転のデマを拡散した元市議
「デマを最初に投稿した人物を洗い出し、謝罪してほしい」
タピオカ騒動の芸能人
「姉にも言い分があるようですが…。誹謗中傷しない。第三者に話しをしない」
何か違う。気持ちがあるならばこの言葉は出てこないのではと思う。
この頃立て続けに流れたニュースの断片で、私はこれらの当事者ではないのに、そんな感想が心に浮かぶ。
この人たちの謝罪の仕方が、彼と同じに聞こえてしまう今の私は心が狭い。
マイナスの力に引っ張られてはいけない。意識と精神をしっかり持たないと。
23. I love meな人
「相手が全て悪い。自分は100%悪くない」「ムカつく」
優しいHGさんからこの言葉を幾度となく聞いたのは前妻さんに対して。
離婚って、どちらか一方だけが悪いなんてことない、と思う。
性格の不一致だとしても、相手が悪いわけではなく自分と合わなかっただけ。
その相手を選んだのは自分。
一緒に生活する中で嫌な思いをすることがあっても、それをどう歩み寄ることができるかどうか。
今回またその言葉を聞いた。
「1年4ヵ月。最後は相手が一人で書類出しに行って終わった。自分は何もしないで済んだ」
「相手が全て悪い。自分は100%悪くない」
そして「きっと女性を見る目がないんだね」と笑顔の自虐は、悪い女がわからないバカな俺ってことを言いたいのかな。
この人には、相手側の気持ちを考えたり、相手側から物事をみたり、ということがないのだ。
何でもいい、と言う人ほど、本当はこだわりが強いのかもしれない。
22. 捨てられない捨ててはいけないパンドラの箱
突然の出来事。衝撃。
また震えてしまった。
何ヵ月ぶりかの心臓が激しい震え痛み。体が硬直する。
たまたま目に留まってしまっただけ。
こんな小さなきっかけで、今でもまだこんな症状になるんだ…
もしも不意に会ってしまったら…どうなるのだろう。
今でも決して前に進んでいるわけではない歩みを止めたくない。今足踏みできている。後ろには戻っていない。
たったこんなことだけでこんな衝撃をまだ受けてしまう。
足踏みが止まってしまう。後ろに戻ってしまう。
全てを捨ててしまっていれば、これは目に入ることもなかった。
パンドラの箱も本当は捨ててしまいたい。
あの人は「証拠、証拠の人」だということがあの最後のラインでわかったから、保管している。
ここで全てを捨ててしまったら、私は何も証明できなくなってしまう。自分を守れるものがなくなってしまう。
こんなことまでされて、これ以上攻撃されたら、本当に生きる力なくなる。
もうこの後これ以上辛い悲しい思いはしたくない。
この苦しみが始まったのが2018年11月24日。
もう一年経った。もう一年もこんな苦しみの中で生きている。まだ一年?
こんなことで人生を立ち止まってはいけない。
私はまだこの先も、これから長い時間を生きていかなければならない。
21. 尊敬すべき人生の先輩
人物A
人間の裏の顔を見る機会が頻繁にある人。
社会で起こる色々の情報量が豊富な、物事を冷静に受け止められる人。
その人に気付かされた。
明るく優しい穏やかなあの人が、
豹変すること、会話がかみ合わないこと、自分が言ったことを忘れる、話がコロコロ変わる突然なかったことになる、無視無言を貫かれる…等は、
彼の性格や育った環境の違いだと、私はずっと思っていた。
一つのことに集中すると他のことまで気がまわらない、は比較的男性に多い傾向。
優しい人でも、気分や体調で怒りっぽくなることは普通にある。
豹変したり根本的な約束事が突然覆されるのが定期的に起こるのは、経済状況の不安からくる余裕のなさ。
支離滅裂に言いたいこと全部発してしまうのは、私が一番身近だから素直な気持ちが爆発するのだと思っていた。
仕事柄もともとデーターの保管は得意だったし、
証拠だと言って映像等に残そうとするのは、家庭内別居や離婚裁判の大変さを経験しているから必要に駆られて身についたと思っていた。
だから、時間を共にし、少しずつわかり合っていきたいと思って会話を重ねてきた。
逆に、人は全部理解し合えることはない、ともわかっている。
ただ、優しさ思いやりは欲しいと思っていたから、コミュニケーションを頑張ってしてしまっていた。
でももしかしたら違ったのかもしれない。
モラハラ、DV、アスペルガー、だったのかもしれないと指摘されて、今回初めて気が付いた。
今までの彼の言動、実際に起こったエピソード・・・それらを視点を変えて振り返ってみた。もちろん確証はない。
人物B
屈託ない笑顔で、
「切り替えるのが一番。忘れてしまえ」と言われた。
的確なアドバイス。
友人に相談されたら私だってそう言う。
その軽い感じに、怒りではなく素直な気持ち、言いにくい言葉を発することができた。
「それはもうしました。そうするべきだということもわかっています」
「でも今回は受け流すことはできません。許せない、という強い感情があります」
言葉の暴力の恐怖を浴びせられたこと、約束を覆されたこと、これらに傷つけられたこと、
だからこそ、最後の日を迎える結果になったこと。
その上、その事実をなかったことにされるような言動を、再会後の今にされたこと。
その自分の今の言動もなかったこととして、都合が悪くなったとたん、連絡が途絶え姿を消す。
苦しめられた側ばかり我慢するしかないなんておかしいでしょ。
人の心を壊すことをした。
あの人がしたことは、男として、人として、経営者として、卑怯です。
20. 怖い、と思わないことが怖い
明日の自分は大丈夫だろうか?元気に過ごせるだろうか?と思えていた頃は、
外で心が乱れてしまったらどうしよう、何事もないような顔して過ごせなかったらどうしよう、という怖さを感じていた。
今年の異常気象の台風。
最初の頃は怖いと思えていた。
風、雨、避難した方がよいのだろうか、水害、氾濫、ヘリでの救助なんてことになってはいけない。
と思い考えることができていた。
台風が怖いと思っていた。
台風は怖いけれど、もっと怖いのは、
何かあった後、今よりももっと頑張らなければいけない状況になることが怖い。
命があってこそ、とは言うけれど、今あるベースが壊れたら失ったら、今私は立て直す気力はない。ということをわかっている。
今、「明日が心配。自分が壊れたらどうなるのだろう。誰かに迷惑をかけるのではないか」がない。
怖い、と思っていないことに、この頃気付いてしまった。
表面的には落ち着いてきたような気でいたから、
私は大丈夫。心の変動、大きなダウンはもうない、と思っていた。
違った。
悪化しすぎていて何も感じなくなっている。
考える力も決断力もなくなっている。
先のことを「怖い」と思えることは、先のことを見ている気持ちがあるから。
怖い思いをするくらいなら…
「怖い」と思わなくなった時が最高に怖いんだ。